はじめて物語|乳業メーカーのパイオニア|守山乳業株式会社 MORIYAMA 

はじめて物語

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 守山乳業の創立者、守山謙は代々続く農家の家に生まれ、疲弊していた農家を救済しようと、酪農に目をつけました。
 当時は乳製品があまり一般的ではなく、これからは乳製品の需要が高まるとの判断から周囲の反対を押し切って、大正7年神奈川県中郡高部屋村日向(現 伊勢原市)に、母体となる守山商曾製酪所を設立し、守山乳業の歴史がはじまりました。

 創業以来、乳業メーカーのパイオニアとして、素材の持ち味を大事にしながら、徹底的な品質主義を貫き通してまいりました。珈琲牛乳を初め、無糖練乳、ソフトクリームパウダー、コーヒークリームパウダー、テトラパック紙包装容器での無菌充填など、日本で初めて開発・導入した商品や技術は数知れません。
 その中でも、今の守山乳業の石杖を築いたともいえる3つの商品を紹介します。
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    元祖珈琲牛乳

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    冨士エバミルク

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    ソフトクリームミックス

4月20日は 『珈琲牛乳の日』(日本記念日協会認定)

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1923年(大正12年)4月20日 東海道線国府津駅にて販売を開始した日を記念して、「珈琲牛乳の日」として認定・登録されました。

元祖珈琲牛乳

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 創業者の守山謙が東京の商店にバターを納品しに出かけた際、住田商会・初代社長の住田多次郎さんが偶然同じ商店にコーヒーを売り込みに来ていました。住田社長はハワイへ移民しており、ハワイのコーヒー豆を東京の商社へ売り込みをしている最中でした。明治時代からコーヒーは飲まれていましたが、一般的にはあまりなじみのないもので、日本にコーヒーを広めようとする男と、乳製品を広めようとする男の運命的な出会いでした。
 住田社長は、ハワイではコーヒーにクリームを入れて飲むこともあると守山に教え、コーヒーを日本で広める方法を考えてほしいと、コーヒー豆を守山へ託しました。
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 守山は早速家に持ち帰り、コーヒーにクリームの代わりに牛乳を混ぜてみました。コーヒーと牛乳が半々の割合になったとき、コーヒーの苦みと牛乳の甘さが程よくマッチし、いままでに飲んだことのないようなおいしい飲料が出来上がりました。さらに奥さんのアドバイスで砂糖を入れるとおいしさは増し、守山はコーヒー牛乳の商品化を計画することを決めました。

 しかし、牛乳は1日しか日持ちがせず製品化は困難を極めました。医者の弟に相談したところ、注射器の煮沸消毒法が応用できるのではという教えをもらい、煮沸消毒を試しました。すると、今までは1日でだめになっていた珈琲牛乳が、1週間日持ちするようになりました。こうして様々な困難を乗り越え、ついに日本初の珈琲牛乳が完成したのでした。

 そして1923年(大正12年)4月20日に東海道線国府津駅にて発売されました。当時並弁当が1箱35銭売られた時代に、珈琲牛乳は20銭とかなり高額だったにもかかわらず、飛ぶように売れたそうです。
 守山はさら研究を重ね、3ヶ月の保存期を実現したことで、1927年(昭和2年)鉄道省販売品の認証を受け、全国に販売されました。北は青森から南は鹿児島まで、日本中の駅で販売され親しまれるようになりました。
珈琲牛乳は、現在一般的な飲み物となり、様々なシーンで飲まれていますが、日本の珈琲牛乳の原点は、守山乳業がつくった瓶入りの珈琲牛乳だったのです。

※現在は法律の改正により商品名に珈琲(コーヒー)牛乳という表現はできなくなりました。

冨士エバミルク

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 守山乳業は珈琲牛乳の後、コーヒー用クリームの製造に着手しました。このとき開発されたのが「冨士エバポレートミルク(無糖煉乳)」です。 当時エバポレートミルクは輸入品しかなく、価格が高価で、貴重品のため庶民にはなかなか手がでない商品でした。そこで国産で、コストを抑え庶民でも手が届くような商品を作りたいということで開発が始まりました。
 その当時、砂糖が入っているコンデンスミルクは国内でも製造されていましたが、砂糖の入っていない無糖タイプの製造は国内では日持ちがせず、長期保存の開発は困難を極めていました。
 そこで当時細菌学の医学士であった創業者守山謙の息子である英雄が、乳製品細菌の根本的研究を重ね、1929年(昭和4年)に商品を完成させたのです。
*パッケージに『富士山』を取り入れることで、国産品であることを象徴しました
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 輸入品より安価で、新鮮なエバミルクは瞬く間に人気商品となり、日本全国で販売され、皆様に愛される商品となりました。発売当時は、コーヒー用ミルクだけでなく、飲料や料理など、当時入手困難であった牛乳のかわりに家庭に広がっていきました。

 「冨士エバポレートミルク」は、その後幾多の改良をしながら「冨士イービーエー」と名を変えて、現在までその確かな品質を多くの方にご支持いただき、今なお愛され続けています。

ソフトクリームミックス

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 1927年(昭和2年)、守山乳業のソフトクリームミックス開発のきっかけとなる、「守山アイスクリームの素」が発売されました。
 当時のアイスクリームは、夏場の深刻な牛乳不足と、牛乳の腐敗による衛生面が問題とされていました。そんな中で、「守山アイスクリームの素」は、水を加えるだけで作ることができるという利便性に加え、夏場の牛乳不足でも大量のアイスクリームができ、品質も一定で、そして腐敗の心配がないということで、当時人気商品となりました。

 昭和4年当時の鉄道省がアイスクリームの作り方を決める際に、この「守山アイスクリームの素」を使用するように指定し、鉄道のアイスクリームとして愛されていたほどです。
*出典元:(一社)日本鉄道構内営業中央会資料による

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 その後、1951年(昭和26年)に日本で始めてソフトミックスパウダーが製造され全国的に広がっていきました。

 守山乳業は90年以上にわたり、製法や形態などかわりながらも今もなおソフトクリームミックスを作り続けています。長年にわたり時代にあったものを作り続けてきたからこそ辿りつく味があります。

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